加賀料理技術保存会

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加賀料理とはAbout Kaga Cuisine

北陸地方、石川県。豊かな自然と伝統が息づいています。江戸時代には加賀藩として、日本最大の石高を誇り、その豊かさは「加賀百万石」と称されました。
この地で生まれた食の総合芸術、それが「加賀料理」です。
加賀藩と武家に由来する「料理」、それを引き立たせる伝統的工芸品の「器」、掛け軸や花で、節句や慶事、季節を表現した「もてなしの演出」。これらが一体となり、お客様をお迎えします。
地元で採れた季節の食材を活かし、雅な調度品の数々と共にいただく。五感で楽しむ趣深い料理です。

加賀料理の歴史The History of Kaga Cuisine

「加賀料理」という言葉を世に広めたのは、吉田茂元内閣総理大臣の長男、小説家にして食通の吉田健一氏であるとされていますが、石川県ゆかりの文学者である三宅花圃氏の著書によると、大正時代には「加賀料理」という言葉が使われていたそうです。
戦国時代。織田信長・豊臣秀吉による天下統一後も、京都を中心とした仏教文化や公家文化の影響が色濃く残り、その影響を受けた食文化が、加賀の地で形成されました。
その後、藩政の時代には、参勤交代により、江戸の食文化を取り入れます。さらに、前田家は文化振興政策として、美術工芸や、茶の湯を奨励。
こうして、両方の食文化と、工芸が、地元食材と一体となり、「加賀料理」の原型ができたとされています。

加賀料理の歴史 画像1
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代表的な料理Typical Dishes

加賀料理の代表的な料理をご紹介します。

治部煮

小麦粉を塗したとろみのある鴨肉と、旬の加賀野菜、すだれ麩を甘辛く煮込み、わさびと共に味わう定番料理で、治部椀という専用の器で供されます。
江戸時代、加賀藩の料理人であった船木伝内の料理書「ちから草」には「じぶ」と記されています。
当時の武士の食事の記録によると、鳥類の狩猟と食用は武士の特権でした。加賀藩でも、藩主が鷹狩りで得た鴨を、将軍家に献上した記録が残っています。
大聖寺藩の武士の鍛錬のひとつで、飛び立つ鴨にY字型の網を投げ上げる「坂網猟」は、現在も受け継がれています。
治部煮は、加賀藩と武家に由来する料理なのです。

治部煮 画像
鯛の唐蒸し 画像

鯛の唐蒸し

大きな鯛を背開きにし、お腹にニンジンやゴボウなどを加えたおからを詰め、丸ごと蒸した料理です。
婚礼などハレの場で、大皿で振る舞われ、皆で分け合って食べます。切腹を連想させる腹開きではなく、背開きが武士好みで、鯛のお腹に、はち切れんばかりに詰められたおからは、子宝に恵まれることを願っており、縁起の良い料理とされています。

「器」と「もてなし」“Tableware” and “Hospitality”

加賀料理が供される料亭では、「もてなしの心」を根幹に、細やかな気配りが随所に見てとれます。その一つが、器です。
生前、金沢とも縁のあった芸術家・陶芸家の北大路魯山人氏は、「器は料理のきもの」という言葉を残しています。加賀料理を提供する器には、地元の伝統的工芸品が使われます。
お皿は、美しい色絵を施して作られる九谷焼。お椀は、能登地方の輪島市で生まれた漆器、華やかな蒔絵、沈金が目を引く輪島塗。
職人文化を大切に育ててきた石川だからこそ、料理に上質なきものを着せることができるのです。
加賀料理のもてなし、それは食器だけではありません。格式高い客間や、空間を装飾する雅な調度品の数々。食卓を彩る四季折々の花、手入れが行き届いた庭園。一挙手一投足が美しく、品のある風情の醸成。伝統的な美意識に沿った華やかさでお客様ももてなす、それが加賀料理です。

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